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コピーライティング・スクール「ながこす」小杉なんぎん・長塚よしひろ旧「ながこすコピー塾」

2013/09/11
コピーライティング・スクール「ながこす」小杉なんぎん・長塚よしひろ
(旧ながこすコピー塾)

昨日、小杉なんぎんさんがこんな葉書を送ってきた。
この一枚の葉書が、くさっていた僕のハートをめらめら燃やした。

小杉さんの葉書20130911


あれは約四半世紀前
「コピー」という言葉そのものが大流行していた頃、糸井重里さんが主催する「萬流コピー塾」が始まった。

僕と小杉さんはその塾生。
塾生と言っても僕も小杉さんもハカマを着て木刀を持ってやあやあ言っていたのではない。
週刊文春の一コーナーに糸井さんが「家元」と称して毎週、お題をあげそれに対して日本(世界?)中のあほな若者たちが我こそは!と葉書を送りつけ、掲載に歓喜していたのだった。
(確か1984年、『ヘルプヘルプと言ったんですよ』の言葉が大流行した「疑惑の銃弾(ロス事件)」をすっぱ抜きした週刊文春が売れに売れていた頃だった)

当時、僕は公務員になりたて、小杉さんはすでに有名人で、新聞・週刊誌に20本位の連載を持っていた。
(のちに糸井さんが「小杉さんの全集を見てみたい」とも言っていたほどだった)

小杉さんと僕がはじめて会ったのは「屋形船」
京都のさて、どこだったか「萬流コピー塾」の塾生たちは、あのくだらないコピーを書いているヤツはどんなやつだろう?と、半ば怖いもの見たさで時々集まったもんだった。
小杉さんは娘さんと二人づれ。僕は奥さんと子供二人。
狭い屋形船で小杉さんと僕たちは風が強くていっこうに煮えないすき焼きに対峙し、互いにぼそぼそと話したのを憶えている。

それから長い年月がたった。
僕は公務員をやめ、ふらふらと売文を続けている。
小杉さんもいろいろあった。
(ここではあえて書かないけれど)

時々、互いに電話でやりとりをし、ごくごく稀に会う。そんな付き合い方だった。
ただ、最近、小杉さんがいくつかの本を出版してから、やりとりも多くなってきた。
互いにくだらない話がいまだに大好きなので、話し出すと長い。
そんな話の中で
「いつか僕(小杉さん)と長塚さんでコピー塾、やりたいねえ」
「ほんまやねえ」
そう話したのが三日ほど前。

なのに気の早い小杉、もう送ってきやがった。

こうなりゃ、受けて立つしかない!




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